ゆめの木のある日常

日常のちょっとしたことのつぶやき

自燈明〜法燈明 自分を奮い立たせる私の方法

どもっ!ゆめの木です( ͡° ͜ʖ ͡°)

 

今日は自宅でのんびりしています。三連休中の昨日と今日は整骨院が休みなので通えず残念なのですが、午前中は腰痛ストレッチ→軽く運動→休憩を3回セット行いました。先週の無理なストレッチがまだ身体に残っています。早く普通にイスに座っていられるようになりたいですな〜(╹◡╹)

 

さてさて今日は

自燈明〜法燈明というお話し…

私がこの言葉を初めて知ったのは

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この方

 

あっ!虎哉宗乙(こさいそういつ)和尚だ!と最初に思った方…

私とは気心知れた友達です(笑)

 

この虎哉宗乙和尚とは一体誰か…

簡単に説明しますと

1530〜1611年

戦国時代から江戸時代にかけての臨済宗妙心寺派の僧。伊達政宗公の学問・人生の師匠に当たる方です。当時は下野雲岩寺の僧・大虫宗岑と並んで「天下の二甘露門」と称された。

 

大河ドラマ独眼竜政宗では政宗公にへそ曲り術の極意を教えた人である事が1番有名ですかね…

 

その大河ドラマの中で今回の言葉

自燈明〜法燈明という言葉は、この虎哉宗乙和尚が政宗公や、政宗公の守役達を集め、お寺で合宿を行った時の教え。

ご紹介します…

 

御釈迦さんはある時、弟子達を集められこう仰られた。決して他人を当てにしてはならぬ。自らを拠り所を成し、自らを燈明と成せ。これが自燈明じゃ。とは言っても、まだ自らを照らす燈明を成してはおらぬ。その場合は法燈明を拠り所とせよ。法とは、この天地の自然、宇宙の真実じゃ。他人に頼らず修業を重ねれば、やがて自燈明と成り、辺りが良く見えるようになる。己こそ己の主人(あるじ)である。他に如何なる主人が有ろうとも、拝むなら自分を拝め。自燈明、法灯明。これが御釈迦さんの教えじゃ。

 

このワンシーンもとても好きで、強さ・勇気が貰えます。拝むなら自分を拝め!って言葉がとても力強く感じられます。

落ち込んだ時や、身体的に辛いときに私は、好きな大河ドラマのシーン等を見て自分の心を奮い立たせています!

 

腰の痛みが長く続くと本当に気が滅入ってしまいます。しかしながら、先人の方々の言葉は魔法の言葉です。おかげ様で気鬱にもならずに過ごせています。

こうしてブログに書くことで、改めてこのセリフを書き込み、頭の引き出しを整理することができました(╹◡╹)ブログのこんな所も書いてて良かったと思える所です。

自分の為、自分に返ってきます。

 

さて、最近見ている日曜日劇場『とんび』を1話分見てから、さっき作ったカレー食べようかな〜

また明日からも頑張りましょう!!

 

 

ではまた( ͡° ͜ʖ ͡°)